映画『わたしはわたし〜OL葉子の深夜残業〜』のラストは意味深だった
先日、Amazonプライム・ビデオで『わたしはわたし〜OL葉子の深夜残業〜』をみました。
蓋を開けてみたら「とても官能映画」でした。
決して「デートとか」で見てはいけない映画で、こっそり1人で見るのをおすすめします。
大人向けであることは間違いありませんが、実はこの映画、
ラストシーン3秒は超意味深だったのです。
ラストシーンのおかげで、多くの解釈ができるようになります。
映画『わたしはわたし』のラストシーンから考えられる2つの説
二重人格を解消し、穏やかな人格を死守した主人公。
人格が元の私に戻って一安心・・・・・
これで終わりかと思いきや、最後の最後にどんでん返しが起きました。
主人公が眼鏡をとって、夜の人格口調で
「私は私よ」
と言うのです。

わたしはわたし〜OL葉子の深夜残業〜より
このラストシーンの3秒で、
二重人格を克服して元の生活に戻る
という「ストーリーラインが一気に崩れ去る解釈」もできるのです。
僕が想像した物語は次の2つです。
最初から二重人格じゃなかった説
寝ている間に夜の人格が宿り、夜遊びしてしまう女性が描かれていましたね?
がしかし、ラストシーンを考慮すると、もしかしたら
最初から二重人格ではなく、すべて演技だった
という説が浮上します。
- 気になる異性を仕留めるため
- 嫌な上司をギャフンと言わせるため
という目的のため、二重人格を演技していた可能性があります。
だとしたら『わたしはわたし』の見方も変わってきますよね。
二重人格の怪奇現象、という安定の物語から、
頭のいい女性が二重人格を装って周囲を翻弄する
という「女性の強さ」が際立つストーリーになってきます。
最終的に夜遊びの人格に乗っ取られた説
次に考えられるのが、
二重人格ではなくなりましたが、最終的に、
夜の人格に乗っ取られた説
ですね。
ミッションを終えることで、本来の自分ではなく、夜の人格になったのです。
物語の途中で主人公が
「乗っ取られそうなんですよね」
とぼやくシーンがありましたが、この説ではそれが現実化して、
穏やかな人格は消えたのです。
最後のシーンでは、夜人格が穏やかなふりをして、あたかも昼の人格に戻ったことを演技している、とも考えられます。
いやー実に意味深ですね。
『わたしはわたし』は意味深映画に認定!
以上、『わたしはわたし』のラストシーンを考慮すると、多くの解釈ができます。
どちらも「女性の強さ」が際立ち、こう考えると、
『わたしはわたし』はただの官能映画ではない
と言えそうです。
ただし、本記事で紹介したのはあくまでも、1鑑賞者である僕の解釈なので、真相は闇です。
鑑賞後、僕と同じ感想を持った方がいると嬉しいですね。
それでは!
Ken