「きみ去りしのち」の読了後の評価
書評ブログというものを初めて書いてみました。ぼくはもうお分かりの通り、書評童貞なので優しい目で読んでみてください。
今日は最近手に取ってしまった重松清の「きみ去りしのち」という小説の書評を書いてみました。
評価:★★★☆☆
涙度:★★★☆☆
重松清の作品の中では可もなく不可もなくという部類です。家族というテーマで相変わらず重松清ぶりが発揮されていましたが、感動させるポイントに持ち込むまでの道のりが冗長だったので★3つです。全部で9章からこの物語が構成されています。しかし、最後の一章に山場を持ってきすぎた感が否めません。
え?第五章ぐらいでこの小説を捨てようとしている?
頑張って我慢してください!きっと後悔はしません。
「きみ去りしのち」の見どころは?(※ネタバレ含む、かも)
さて、次になぜ以上のような評価を下したのか見ていきましょう。
読了後に感じた「きみ去りしのち」の見どころは以下の3つです。
1.旅小説である。
まず一つ目は世にも珍しい「旅小説」である点です。
なぜなら、主人公を含む登場人物が日本全国を旅をするからです。この小説を読むと日本という国が多種多様な観光スポットを持っていることに気づかされます。
え。もう少し具体的に教えろ??
そうですね。この小説では以下の9つの場所に主人公とその仲間たちが旅をしています。
一章に一つの観光地というリズムですね。
- 恐山
- 奥尻島
- オホーツク海
- ハワイ(あ、日本じゃない)
- 阿蘇(熊本)
- 奈良
- 琴ヶ浜
- 与那国島
- 島原
<地図を貼る>
ここであまり旅をしたことがなくて心配している方に朗報です。
重松清さんの描写力をなめてはいけません。彼の筆にかかれば行ったことのない観光地の様子がじつに目に浮かんできます。
実際、ぼくも第一章で登場する恐山にしか脚を運んだことはありませんでした。しかし、この物語の主人公が旅先の様子はありありと感じ取ることができました。この小説を読むだけで旅をした気分になれますぜ。
さらに旅気分を味わえるだけでなく、旅へ読者を掻き立てる物語でもあります。ぼくも今まで金がないという貧相な理由で、旅を拒んでいました。しかし、この物語を味わうと旅を実際にしたくなります。ええ。結構本気です。
2.「喪失」を克服する物語
二つ目の見どころは「喪失」の克服です。この物語に登場する人物は、人生において大切なものを「喪失」しています。
この喪失について各登場人物ごとに詳しく見ていきましょう。
ケース1.主人公「セキネさん」
彼は以下の2つの喪失を経験しています。
- 息子「ゆきや」の喪失
- 元妻「美恵子」の喪失
この一つ目の喪失は、親が子を失って生じる喪失です。ぼくは結婚というか彼女すらいないので正直実感しにくい喪失です。
しかし、一般的に言われるのは「最大の親不幸は親より先に死ぬこと」。それほどまでに子どもに先に逝かれるのは悲しいことなのでしょう。この喪失感は主人公を旅に駆り立ててキッカケでもあります。主人公セキネがどのようにこの喪失を乗り越えたのかが注目です。
ネタバレを覚悟で言ってしまうと、彼は死に対する考え方を変えることで吹っ切れました。
彼は、
死んだ人を忘れても別に忘れてもいい。忘れてもココロの中にいるから。
と吹っ切れます。この開き直りの本質は、
死んだ人が自分の行動様式に何らからの影響を与えている
ということです。
これはまるでヒカルの碁で藤原為が消えたシーンに似ています。そっくりです。
たしかあの漫画では、
為が消えても俺の碁にアイツがいる
と主人公ヒカルが開き直り物語が動き出します。
それとたぶん同じです笑
もう一つの喪失である妻の美恵子は物語が進んでいく中で経験します。彼女の死は主人公セキネさんというよりは、その娘の明日香に影響を強く及ぼしています。
ケース2.セキネさんの娘、明日香
彼女は前述のとおり、
母美恵子の喪失を経験しています。
彼女は幼いころに両親が離婚してしまい、本当の家族経験がありません。
そして彼女の母である美恵子は合計4回もの結婚と離婚を繰り返していました。
その女で一つで明日香を育て上げた美恵子が亡くなったのです。
彼女はその死に直面してこう思いました。
自分の人生は誰が動かしていくのか
ということです。
だから、彼女は実の父親であるセキネさんを頼らず一人旅にとりあえず出ることを決心したのです。
なぜなら、彼女自身が両親から独立していることを証明したかったからです。
ケース3.セキネの妻、洋子
最後に主人公セキネの妻である洋子です。
彼女はセキネの新しい妻であるため、息子のゆきやの喪失を経験しています。
ただ、主人公と異なる点は、喪失感への向き合い方です。
彼女は旅の中で喪失感に堂々と向き合う人々を見てきて、
時間が解決してくれる
という判断を下しました。喪失に深く考えるのではなく、向き合い続けることが大切なんだということです。
その結果、彼女は物語の終盤でなき息子ゆきやが身に着けていたベビー用具の処分を決行しました。
これは物語序盤で喪失感にどっぷりつかっていた彼女には考えられない決断です。
ふぅ、重松清作品を適当に語ってしまったぜ
ここまで重松清の「きみ去りしのち」を独断と偏見で語ってきました。
この作品に対する3つの視点を語ろうと意気込んだのですが、2つしか思い浮かびませんでした。ごめんなさい笑
最後にこの小説の名言、よかった言葉を一挙に紹介します。
空のどこかに、雲はあるよ。見えなくても、どこかに絶対にあるよ(P91)
人間ってさ――――と語るのはまだ早すぎる。男ってさ。女ってさ。父親ってさ。母親ってさ。夫と妻の関係ですら、やっぱり、よくわからない。結局まだ「俺ってさ・・・・」の段階なのかな、と苦笑すると、肩の力がうまい具合に抜けてくれた。(P370)
「お葬式のときにしっかり泣いたから、いいよ」
「それはお母さんが死んだっていうことの涙だろ?今度からはさ、お母さんが生きてたんだって、お母さんも自分の人生を・・・・せいいっぱい生きてたんだって・・・・」私のほうが先に涙ぐんでしまった。明日香の返事はなかったが、やがて押し殺した嗚咽が聞こえてきた。(P412)
ふう。やっぱ重松清さんの言葉はココロにしみますね。
なにか疑問、不満、義憤、などがあれば以下のコメント欄にメッセージをくださいね!お待ちしております。
それでは。
ケンサワイ